【丸に違い鷹の羽】
**鷹の羽紋 抜粋**
勇敢果敢な尚武のシンボル
勇猛果敢、しかも威厳に満ちたタカのイメージを、その羽で象徴した紋。中世、武官のかぶる武礼冠に鷹の羽をさしたのも、単なる装飾ではなく、武官としての尚武のシンボルとされた。
はじめて史料に登場するのは、『蒙古来襲絵詞』。九州の豪族菊地治郎武房がこの紋を据えた旗を翻して奮戦している。菊池氏の紋は、鷹の羽が二枚並んで立っている並び鷹の羽紋。
これはもともと阿蘇神社の神紋で、氏子の菊池氏が賜授されたもの。菊池氏の子孫は、肥後を本拠として繁栄し、西郷、小島、兵藤、山鹿、村田など数十氏に及んだ。また阿蘇神社の神官阿蘇氏は、菊池氏以外にも下賜し、足利時代すでにこの紋を家紋をした氏族は全国に及び、徳川時代には、大名、旗本合わせて百二十余家に達した。現在も桐紋と並んでベスト5に入る有名紋。
元禄時代、この紋が一躍脚光を浴びる。忠臣蔵である。播州赤穂の城主、浅野内匠頭長矩が、江戸城松の廊下が吉良上野介に刃傷。テレビ・映画でお馴染みのシーンだ。背中にくっきり「丸に違い鷹の羽」紋。本家芸州広島浅野家の紋所でもある。
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