【五三の桐】
**桐紋 抜粋**
朝廷から下賜された名紋
皇室の副紋とされる桐紋は、角式の高い紋章。後醍醐天皇が足利尊氏に下賜された史実は、朝廷の御紋章として鎌倉末期に確率していた証拠でもある。尊氏は、拝領したこの桐紋を一門の吉良、細川、新田、今川、山名、一色、斯波、畠山などの諸氏に分け与えた。
豊臣秀吉も同様に、下賜された桐紋を多くの将士に与え、大いに普及させた。が、、菊についで最も名誉ある桐の紋章は、武将のあこがれの的であっただけに、僣用、盗用も発生、ついに秀吉も”禁令”を発して、その無断使用を厳禁した。これが天正19年の「菊桐禁止令」である。
豊臣家滅亡後も桐紋は天下の大紋として栄え、現在でも上位ベスト5に入る。また秀吉の養子となった結城秀康(家康の次男)系の越前家一門は、姓は松平氏であっても葵を用いず、桐紋を使用し”豊臣朝臣”のシンボルを受け継いでいる。
桐紋は、花の数によって、”五三の桐””五七の桐”に分類する。桐はゴマノハグサ科の落葉高木で、スミレ色の花は下向きに咲く。中国の伝説では、鳳凰の棲む聖樹とされている。
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