浜松市、金原様の家紋は・・・。
【下り藤に久世橘】
**藤紋 抜粋**
日本一の”大紋”藤原のシンボル
使用する家の数、全国的な分布からいって、天下第一の家紋。とくに日本一の大姓「佐藤氏」をはじめとする伊藤、武藤、近藤など藤原秀郷流の”藤原一門”に多い。
秀郷は、近江国(滋賀県)田原郷の出身で、ムカデ退治で有名な俵籐太のこと。後に関東の覇者・平将門を討って一躍その武名を天下にとどろかせた。その子孫が関東・東北を中心に拡がり、奥州平泉の藤原氏も分派のひとつ。また、藤原利仁流の加藤、斎藤にも多い。もちろん藤原系貴族(公家)も五摂家の九条、二条、一条をはじめ多くが使用しているが、なんといっても地方に下った藤原支族が、その”出自”を誇って家紋とした例が多く、”藤”の字を苗字に抱く一族の代表家紋となった。
藤は全国各地に自生するマメ科の落葉蔓低木。藤原市の全盛期には、その氏にちなんで、”藤花の宴”がさかんに催されるなど、古くから観賞用として愛されてきた。現在でも、初夏、藤棚にこぼれる薄紫色の花は、甘美な香りを放って、人々の心をなごませている。
**橘紋 抜粋**
絵画的に描かれたカラタチの花
橘は古代名で、現在の”カラタチ”の花のこと。カラタチは「唐のタチバナ」に由来する常緑低木。五月ごろ、白い小さな五弁花が咲く。奈良時代には好んで庭に植えられ、京都御所の紫宸殿には「左近の桜」とともに「右近の橘」として残されている。
橘は、もちろん橘氏一族の家紋。奈良朝のころ元明天皇(女帝)は、ことのほか橘を好まれ、お気に入りの女官”三千代”に橘の呼び名を与えられた。その三千代の子が橘諸兄で、母の愛称を記念して橘姓をたてた。が、橘氏が次第に衰えて、公家から姿を消すにおよんで、武家の間で、井伊、黒田などが橘紋を用いた。日蓮宗が井筒に橘の紋を用いるのは、日蓮を井伊家との間に姓氏的な関係があったからとされる。
家紋の種類としては約60種で、果実1個に5枚葉を配した形が基本形。紋所をしては比較的絵画的で、形もいいので染織意匠の単位模様としても、しばしば用いられている。実の数は1個から5個まであり、丸や隅切り角や井筒などで囲まれているのも見られる。
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